足で稼ぐ、のだ。
散歩しながら哲学するのだ。
足に脳がついて人間になった。
だから、人間は考える足である。
そもそも、哲学は何から手に付けたらいいのだろう?
近代哲学の巨人、イマニュエル・カントは次のように言っている。
「哲学を学ぶことはできない。哲学することを学びうるだけである。」
カントだって哲学を学ぶことはできないと、断言している。
でも、とにかく前に進んでいこう。
日々の暮らしの中で、ふと、疑問にかられることがある。
「最近、やたらと国家とか国益とか言うけれど、国家って何?」
ふと頭をよぎったそんな疑問は、すでに哲学の入り口といっていいのではないか?
国家について何がしかの知識を手に入れ、自分の頭で考える。
その作業、プロセスが哲学することなのだ。
「女の(男の)心が分からない。」と言えば、心についての考察ができる。
「結局、彼女にとって、僕はどんな存在なんだ?」と言えば、自分の存在について考えるきっかけになる。
人間の行動は、どういう意味があるのか?
僕は何故、ブログを書いているのか?
こんな人生に意味があるのか?
これから、哲学することを学んでいこう。
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