その痛い頭を抱えながら、道路を歩いていた。
そこへ、ある男がやってきて、「どうだい、頭痛によく効く薬があるんだけれど、飲むかい?」と寄ってきた。
あなたは、この胡散臭い男から薬をもらって飲むだろうか?
普通、飲まない。
では、何故、医師からもらったアスピリンなら飲めるのだろう?
それは、患者が医師を信頼しているからだ。
では、医師は何故、アスピリンを患者に投与できるのだろう?
それは、厚生労働省が(国が)、アスピリンに対して製造販売の承認を出したという事実を信じているからだ。
では、何故、厚生労働省は、アスピリンを承認したのだろう?
別に、お役人さんは、自分でアスピリンを飲んで、有効性を、安全性を確かめたわけではない。
厚生労働省の担当官は、製薬会社が提出してきた「データ」を信じて、審査した結果、承認を出している。
その「データ」というのは、紙の上に印刷された数字だ。
では、その「データ」の信頼性はどこからくるのか?
それは、モニターがSDVを通して「データ」の信頼性を確認しているからだ。
ですよ!
その薬を生かすも殺すもモニター次第なのだ。
もう一つ、話がある。
たとえば、自動車というのは、その製造工程を見ると、シャーシがあり、エンジンがあり、車体があり、窓ガラスがあり、それらを徐々に組み合わせて自動車の形にしていく。
じゃ、今度はアセチルサリチル酸(アスピリン)を見てみよう。
そのアスピリンは最初、試験管の中で合成される。
このときは、有機化合物という、ただの「モノ」だ。
そのアスピリンを使って非臨床試験を行い、動物などに投与し、どうやら解熱・鎮痛作用があるらしいことが分かる。安全性も確保できそうだ。
そうこうするうちに、このアスピリンが、ある日、「治験薬」と名前が変わり、臨床試験(治験)で、人間へ使用される。
その結果、人間に対する作用が確認される。
そして、治験を通じて得られたデータをまとめ、国に提出する。
国は、そのデータを信頼し(前述のとおり)、承認を与える。
ここで、アスピリンは医薬品と名前を変える。
このようにして、アスピリンは「モノ」→「治験薬」→「医薬品」と名前を変えていくが、構造式は最初から全く変わっていない(アセチルサリチル酸のままだ)。
では、何故、その名前を変えていいのだろう?
名前が変化していく間に、何が変わったのだろか?
それは、「有効性」や「安全性」というデータ・情報が蓄積されて、そのデータ・情報によって名前が変わるのだ。
だから、私たちの業界は非常に高度な『情報社会』だと言える。
では、治験中、そのデータはどこに記載されているのだろう?
「治験薬概要書」だ。
治験薬を治験薬たらしめているのは「治験薬概要書」なのだ。
モニターはしっかりと治験薬概要書を読み込んでおこう。
非臨床試験のデータも読めるようになろう。
繰り返すと、治験を生かすも殺すもモニター次第なのだ。
最後に……。
「患者が怠けてもモニターは死なないが、モニターが怠けると患者は死にます。」
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